軽度のもの忘れで受診された70代の女性。新しい治療とご家族の関わり方の変化を、主治医の視点から振り返ります。
お話 : 橋本市民病院
脳神経外科部長 大饗義仁先生
更新日:2026.10.30
● この体験談のポイント
脳ドックで軽度の認知機能低下を指摘され受診された70代の女性。新しい点滴薬による治療と並行して、ご家族の「声のかけ方」が変わっていったことで、ご本人にもご家族にも笑顔が戻っていきました。診察を担当した私(主治医)の視点から、その経過と、薬と同じくらい大切だと感じたことをお話しします。
脳ドックで軽度の認知機能の低下を指摘され、当科を受診されました。付き添いのご主人にご様子を伺うと、「さっき聞いたことを忘れている」「何度も同じことを聞く」「物をしょっちゅう探している」「怒りっぽくなった」「洗濯機の乾燥への切り替えができなくなった」とのことでした。ご家庭では、言い合いになることも増えていたようです。脳のMRIでは海馬に軽度の萎縮を認め、もの忘れの検査は30点満点中23点。私は「軽度のアルツハイマー型認知症」と診断しました。まずは飲み薬を開始し、ご家族には、ご本人がうまくできなくても「また忘れてる」「そうじゃないやろ」と責めないでくださいとお伝えしました。
しばらくして、認知症の新しい点滴薬が発売された話題を、ご主人がニュースで知られました。「その薬を使いたい」とご希望があり、検査をしたところ、脳内のアミロイドβというたんぱく質の蓄積を認めたため、点滴の治療も始めました。はじめのうちは通院日をいつも忘れておられましたが、治療を続けるうちに、忘れずに来られるようになりました。ご主人は「これまで病院を嫌がっていたのに、最近は穏やかになって、喜んで来るようになりました」と笑顔で話してくださいました。失敗を恐れて消極的だった家事も、ご自分から進んでされるようになったそうです。
新しい薬の登場で、進行を穏やかにする選択肢は確かに広がりました。けれども診察を重ねるなかで私が強く感じたのは、薬と同じか、それ以上に、ご家族の関わり方が大切だということです。ご本人は、うまくできないことや失敗することがあります。そのとき「また忘れてる」「そうじゃないやろ」と責められると、かえって混乱してしまいます。否定する言い方を避けて、安心できる声をかける。このご家族のように、家の中に笑顔が増えていくことは、治療の効果そのものにもつながっていくと、私は考えています。
ある日、ご本人がお孫さんの運転で高野山まで足を延ばし、好きだった司馬遼太郎の『坂の上の雲』をまた読み始めた、というお話を笑顔で聞かせてくださいました。診察のたびに、こうした小さな変化や、その方らしい時間が少しずつ戻ってくるのがわかります。一例一例、本当にいろいろな物語があります。私は薬を処方するだけでなく、ご本人とご家族が穏やかに過ごせる毎日を、これからも一緒に支えていきたいと思っています。
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